2024年はブルクミュラー没後150周年!
メモリアルコンサートも開かれているようですね。
クラシックピアノを学習する人は必ずと言っていいほどお世話になるブルクミュラーさん。私も子供時代に大きな音符の楽譜を見て練習してました。でも、その頃はどんなお顔なのか?情報なんて全然ありませんでしたよ。昭和の時代の話ですが・・
「25の練習曲」「18の性格的な練習曲」「12の旋律的で華麗なる練習曲」などで広くピアノ学習者の教則本として有名な、ヨハン・フリードリッヒ・フランツ・ブルクミュラー(1806年〜1874年)。
一体おいくつの頃でしょうか?肌艶が良い感じですので、お若い頃ではないかと思われますが・・謎ですね。
ドイツ人だけど、青年時代からはフランスで活動したとの事。そうかぁ、だから曲名がフランス語なんですね!と納得です。 曲名のフランス語表記は変わらないけれど、邦訳は出版社によって違いがあるのも面白いです。
4歳の時、弟のノルベルトが生まれる。彼も作曲家となる
18歳の時、音楽家の父アウグストが死去
20歳の時、デュッセルドルフからフランスのアルザス地方へ移住。作品1「ロンド」出版。
24歳の時、アルザス地方音楽祭で自作の「チェロ協奏曲」を初演!
26歳の時、パリへ移住。ピアノ教師、作曲家として活躍する傍らピアノ曲を次々と出版
30歳の時、弟のノルベルトが発作で亡くなる。26歳の若さだった。
メンデルスゾーンは彼のために「葬送行進曲Op.103」を書いた。
35歳の時、アダン作曲のバレエ「ジゼル」の一部に音楽を書く。
36歳の時、フランス市民権を得る。
37歳の時、バレエ「ラ・ペリ」の音楽を書く。バレエの成功で有名となる。
45歳の時、「25の練習曲」をブノワ・エネ社より出版。
48歳の時、「12の旋律的で華麗なる練習曲」をショット社より出版。
52歳の時、「18の性格的な練習曲」をブノワ・エネ社、ショット社で出版。
母親のテレーぜが亡くなる。
54歳以降、パリ郊外のエソンヌ県マロールー=ザン=ユーロポア村で隠遁生活を送る。
年表参照:「ブルグミュラー25の練習曲 徹底活用ガイドより」引用
作品は、大まかに数えてもピアノソロ曲だけでも112曲以上!!
ピティナ・ピアノ曲辞典を除くと、こんなに作曲していたのですか!?と驚きます。
曲名が、「余暇の一時 12の愛好されたメロディ」とか、「あふれる想い、エチュードの形式による12の性格的旋律」「若いピアニストへの励まし」「愛の井戸 幻想曲」とか、素敵?面白い?ものもちらほら。但し、音源と楽譜の無い作品がほとんどなので、それは残念ですね。
なんと言っても「25の練習曲』が人気ナンバーワン!
ブルクミュラーが45歳の時に作曲した練習曲。
洒落たフランス語表記の曲名と、親しみやすい旋律がポピュラーと化してますね。毎年9月〜12月に開催されるブルグミュラーコンクール(このピティナ主催のコンクール表記は「ブルグミュラー」で、全音の楽譜類はブルクミュラーの表記になってる物も。)も、この25と18の練習曲が課題曲の中心となってますので、ますますブルク愛好家が増え、我々指導者はますます愛着を持ってブルクを指導し続けることでしょう。
私の生徒が参加した「2024年ブルグミュラーコンクール某地方地区大会」での人気ランキング5位!
関東圏の地方地区大会での統計です。ご参考までにご覧ください。
第1位 「アラベスク」
第2位 「素直な心」「無邪気」「タランテラ」
第5位 「バラード」
「小さな集会」「清らかな流れ」「ちょっとした悲しみ」「つばめ」を選んだ参加者はゼロ
・ファイナル通過しなかった割合の低い曲は「無邪気」。通過者が少なかったのは何が原因なのか?興味深いです。
第1位 「大雷雨」「風の精」
第3位 「真珠」「夜明けの祈りの鐘」「ゴンドラの船頭歌」
「泉」「陽気な少女」「子守歌」「素早い動き」「セレナード」「マーチ」を選んだ参加者はゼロ
・ファイナル通過しなかった割合の低い曲は「風の精」。人気の曲ですが、ホールで弾く難しさがあるようです。
ブルクミュラーは、ピアノ学習者にとってロマン派導入の入り口的な存在。指導者もブルクミュラーの思いや意図を読み解く力が必要なのではないか?と感じます。これだけ弾かれている曲集ですので、もっと違った角度からアプローチできたら良いな!とコンクールを目の前にする度に思います。日々勉強ですね。
ブルクミュラーの知られざる作品にも今後注目していきたいですね。子供達にも、こんな作品もあるんだよ〜と伝えていければ良いなと思っています。